ぐるっとマップNo.110「大町の堰を訪ねて」を公開

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No.110 大町の堰を訪ねて

雪どけとともに川の水が増え、里でも種まきの準備が始まりました。大町では鎌倉〜室町時代、仁科氏が統治していた頃に大規模な堰の開発が行われ、新田が拓け多くの村ができました。今回のマップでは、先人の知恵と技術の結晶でもある堰から、大町市内の主なものを紹介します。

これからの時期、堰は思わぬ増水をしていることもございます。散策の際には十分に気をつけて、お楽しみください。

① 猫鼻取水口

thumb image1猫鼻取水口仁科氏が行った一大工事が、鹿島川の清流をここ猫鼻から取水して市街地へ導水し、街の飲料・生活用水として使うと共に、途中の田畑にも水を分け、新たに農地を拓くことでした。取水口の下流は、越荒沢堰親水公園として整備されています。

② 大澤寺(だいたくじ)溜池

市内最大級の温水溜池。冷たい越荒沢堰の水を温めて、稲の生育を助ける役割があります。

③ 北荒沢堰親水公園

オリンピック道路から金山神社までの区間は、川沿いに遊歩道が整備され、気持ちのよい空間になっています。地元借馬のみなさんが、維持管理を続けています。

④ 大町新堰

thumb image2大町新堰 江戸時代後期、大原・中原地籍の未開拓原野の開拓を進めようと、新たに篭川から水を引き、大町新堰を開削しました。1793年に工事が始まり、1815年には大町村から大原への引越しの記録が残っています。

⑤ 若一王子神社

夏祭りと子供流鏑馬(やぶさめ)で有名なお馴染みの若一王子神社ですが、市街地に水を分ける要の地点にあり、水分り(みくまり)の神の意味もあったと考えられています。

⑥ 横堰

中世、仁科氏の時代に開削され、社地区の新田開発に寄与しました。社地区は古代は沢水による灌漑(かんがい)に頼っていましたが、やがて横堰と居谷里堰ができたことで、社地区の段丘上に水田が開けました。

⑦ 上原温水路

thumb image3上原温水路 戦後の開拓で、上原地区に水田が開墾されたときに、篭川の冷たい水を少しでも温めて田んぼに流すために造られました。長さ300m、幅16mから18mほどの水路で、水深は10cm程度。夏の暑い日に実際に計ってみると、水路の入口と出口では水温が3度ほど違います。「わっぱらんどの会」の皆さんが、親水公園として整備をし、今では「わっぱらんど」として親しまれています。

⑧ 大出溜池

thumb image4大出溜池大出はその地名が示すとおり、豊かな水が大いに湧き出る水に恵まれた地区です。今ではこの溜池は使われていませんが、もともとは4つあり、鹿島川の向こうの農地の灌漑用水として使うため、豊富な水をこの溜池に集め、鹿島川の下からサイホンで送っていました。

⑨ 久保調整池と盤牛(ばんごん)様

鹿島川が高瀬川に合流するこの地点は洪水の害も多く、昔牛を生贄にして洪水を鎮めたという伝承から、盤牛様の祠が祭られています。大蔵宮堰の上流に位置する久保調整池は、高根の水田に流す前の水量と水温を調整しています。

⑩ 大出取水所

thumb image5大出取水所 戦後の高瀬川上流総合開発により、大町の水利用は再編成されました。青木湖から導水路を通って来た水は、ここで上原や源汲からの水路の流末と合流し、高根へ向かう大蔵宮堰、常盤を潤す和田川用水、そして昭和電工常盤発電所の発電用水に振り分けられています。

⑪ 和田川用水

和田川は鎌倉時代より前から使われていたと考えられる古い水路です。高瀬川が安曇平に向かう治水・利水の要所には仏崎観音寺が位置し、境内をこの和田川が流れています。その後、中世仁科氏の時代になって、須沼板取堰、一本木堰が高瀬川から取水されるようになり、常盤の開拓が進みました。

⑫ 横溝堰

thumb image6横溝堰 横溝堰は乳川から取水された古堰で、主に西山の灌漑用水となり、飲み水にもなりました。現在は国営アルプスあづみの公園の渓流ゾーン内を流れており、散策におすすめのスポットです。川の水が鉄分を多く含むため、流れの緩やかなところでは石が赤く染まっているのが観察できます。

⑬ 乳川古堤防

上幅約6m、高さ約5mの長大な石の堤防です。乳川の洪水を防ぐため、地元西山村民により1817年に完成しました。